小豆島で 迷路のまち

7月3日 小豆島
土渕海峡:世界一狭い海峡


尾道水道も狭いので、マンションの上から見ると、

尾道水道はやはりこれくらいの幅にしか見えません

迷路のまち


西光寺


尾崎放哉記念館

西光寺奥の院「南郷庵」の庵主となり、放哉は安住の地を得る

大正15年この地で42歳の生涯を終える


迷路のまちの通りに行灯が掲げてあり、放哉の句が書かれています

「山は海の夕陽をうけてかくすところ無し」

 ある日の高見山を詠んだ句のよう


感じるままを素直に読んだ自由詩 「なんと丸い月が出たよ窓」
岡田長栄堂の大判焼き

「入れものが無い両手で受ける」

 

迷路のまちを迷いながら、あちこち歩き回る
どこを歩いたのか たどれないので、ここは道案内出来ません
尾道も小路がたくさんあり、よく行き止まりで道に迷いますが、

土庄の迷路のまちは行き止まりなしで、いつのまにかもと来た道に戻ることが多いです


探し当てた 瀬戸内国際芸術祭 作品
La Danse ソピアップ・ピッチ


いっしょに
ともだち スタシス・エイドリゲヴィチウム

 


作品sd42 「立入禁止」 は見たけれど作品とは思わなかった


         *******おまけ


かなしくなったときは
海を見にゆく

古本屋のかえりも
海を見にゆく

あなたが病気なら
海を見にゆく

こころ貧しい朝も
海を見にゆく

ああ 海よ
大きな肩とひろい胸よ

どんなつらい朝も
どんなむごい夜も
いつかは終わる

人生はいつか終わるが
海だけは終わらないのだ

かなしくなったときは
海を見にゆく

一人ぼっちの夜も
海を見にゆく


          ―寺山修司 かなしくなったときは―

 

付録:「血系図」のブログを新しく始めました。あまりにも専門的なので、
      「私の城攻め」もそちらに移ります。
萩藩の歴史は 「尾道ゆたっり歩き記」より転記します

系図とは: https://yo3519.hatenadiary.com/entry/2022/03/25/215403
長門萩藩血系図: https://yo3519.hatenadiary.com/entry/2022/05/21/101715

長門萩藩 2: https://yo3519.hatenadiary.com/entry/2022/05/24/170748 

毛利重就の娘の血系図: https://yo3519.hatenadiary.com/entry/2022/06/15/224342