「血系図」からみる歴史事件簿(32)応天門の変866年

歴史を紐解くと、血統や系譜はその時代背景や事件の裏側を理解する鍵となります。

『血系図』からみる歴史事件簿では、日本史の謎や興味深い人物の背景を、

家系図の視点から探っていきます。

第32回目は、「応天門の変」

皇族の血筋と謎の事件の関係性を、血系図を通じて解き明かします。

  「血系図」からみる歴史事件簿 (32)応天門の変 866年

応天門が焼けた直後、
伴善男は左大臣・源信を犯人として告発し、
右大臣・藤原良相はそれを信じて兵を出し、源信邸を包囲した。

ここで動いたのが、太政大臣・藤原良房
良房は清和天皇に直接奏上し、
「証拠がないまま左大臣を処罰するのは国家の信義に関わる」と

 強く主張し、源信の嫌疑を晴らした。

数ヶ月後、
備中国の大宅鷹取が「真犯人は伴善男・伴中庸だ」と密告。

この密告は私怨に基づくものだったが、
良房はこれを徹底的に利用した。

伴善男父子を流罪
 伴氏・紀氏という古代名族を排除した

その直後に正式に藤原良房は摂政に就任(人臣初)

事件の流れを見れば、
良房がこの逆転劇の“仕掛け人”であることはほぼ確実

伴善男を罪に落としたのは、
 大宅鷹取という下級官人の“密告”だけ。
 しかもこの密告は私怨に基づく虚偽の可能性が高い


源信(左大臣)
 嵯峨天皇は皇子を臣籍降下させて「嵯峨源氏」を形成し

 母の身分に関係なく皇子を政治に投入した
 源信はその中でも能力が突出していた(左大臣)

 藤原北家と協調し、政治の中心となる

  嵯峨源氏

伴善男(大納言) 
 古代名族だが衰退し、官位も低い。
 政治的影響力はほぼない。

火事の直後、
伴善男は即座に源信を犯人と断定した。
『日本文徳天皇実録』には、
火事直後に伴善男が源信を犯人として訴えた記述がある。

応天門の変の流れ
前半:伴善男 → 源信を告発
        良房が介入して源信は救われる。

後半:大宅鷹取 → 伴善男を密告

この密告を良房が徹底的に利用し、

伴氏・紀氏を一掃し、人臣初の摂政に就任する。

つまり、伴善男の告発は“前座”大宅鷹取の密告こそが“本番”

大宅鷹取の密告は“良房の政治操作”の可能性が高い
藤原良房にとっては、
伴氏(武門)と紀氏(学者・文官系の旧家)
どちらも「古い名族」であり、
北家の政治支配を固めるうえで邪魔だった。
だから、
大宅鷹取の密告を利用して、紀氏もまとめて排除した。

 

応天門の変の処罰
伴善男(伴氏) 流罪

伴中庸(伴善男長男) 流罪
紀夏井(紀氏) 流罪

藤原良相(良房の弟) 事件後に失脚
  良相は本来有力な北家の息子
  しかし応天門の変で源信邸を包囲するという政治的ミスをし
  良房は養子の基経を摂政にする構想から
  北家の柱を一本化する必要があった

 

もう少し詳しい説明が必要でしたら、下記のブログを参考にしてください
「血系図」からみる歴史事件簿(32)応天門の変866年 - yo3519’s blog