中村城跡と四万十川

令和2年12月13日

中村城跡
一条教房が中村に下向しそのまま戦国大名として土着し、元々この地にいた豪族の為松氏により中村城は築城された。

城は西に四万十川、東に後川が流れ、中村平野を一望できる丘陵に築城された。
その後一条家長宗我部元親に攻められて滅亡した。

関ヶ原の戦い山内一豊の弟康豊が入るが、一国一城令に伴い廃城となった。

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現在は「為松公園」になっており、二の丸跡に模擬天守の郷土資料館がある。

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中村御所跡

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一条神社

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中村市で生まれて、大逆事件で処刑された幸徳秋水の墓

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中村市は合併して四万十市になる

四万十川は、高知県の西部を流れる一級河川で全長196km、流域面積2186kmで四国内で最長の川である。

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不入山(いらずやま)を源流とし、高知県中西部を逆S字を描くように蛇行しながら多くの支流を集め、四万十市で太平洋に注ぎこむ。

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四万十川沈下橋は、鉄筋コンクリート造りで、欄干がなく、通常の水位より2-3m上にかけられている。

台風や大雨時には沈下することで、流木などが橋脚などに引っ掛って滞留し水圧がかかり橋全体が破損、流失するのを防いでいる。

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四万十川は水質も良く日本有数の清流 川底が見えるほど透き通っている

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河原では移動式サウナの準備中

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