熊本城は、安土桃山時代から江戸時代の日本の城。別名「銀杏城」
加藤清正が中世城郭を取り込み改築した平山城で、加藤氏改易後は幕末まで熊本藩細川家の居城だった。
熊本城の歴史
1550年 菊池義武が隈本城に入る→義鑑の子・大友義鎮により追われる
以後は大友氏に協力した城親冬が居城とした。
1587年 城親冬の孫・城久基は城を明け渡して筑後国に移った
肥後の領主となった佐々成政が隈本城に入る
1588年 佐々成政は検地を強行し、肥後国人一揆を引き起こし切腹
加藤清正が隈本城に入り、肥後一国52万石の領主となる。
1606年 新城の完成を祝い、翌年「隈本」を「熊本」と改めた。
1632年 清正の子・加藤忠広の改易により
豊前小倉城主だった細川忠利が肥後54万石の領主となる
1640年 忠利の招きで宮本武蔵が晩年を熊本で過ごす
1877年 西南戦争で西郷軍の重要攻略目標となる。
西郷軍の総攻撃2日前、原因不明の出火で大小天守などの建物を焼失した。
1889年 熊本地震(金峰山地震)で被災
1955年「熊本城跡」として国の特別史跡に指定
1960年 鉄骨鉄筋コンクリート造で大小天守を再建
2006年 日本100名城に選定される
2007年 本丸御殿が復元される
2016年 震度7の熊本地震の前震と本震など、相次ぐ揺れで被災した
熊本城主の人物像
人物像を「血系図」から見てみると、色々興味深い人物が登場してきます
*お詫び:「血系図」の画素が小さくて読みづらいので、申し訳ございません。
容量の問題でこれ以上の画素はアップロードできないのです
菊地氏
菊地義武1505-1554 大友義鎮により謀殺される
城氏
城親冬
城親賢 ?-1582
城冬基 城を明け渡し筑後に移る
佐々氏
佐々成政1536-1587 肥後国人一揆で切腹を命じられる
加藤氏
肥後熊本初代藩主 加藤清正1562-1611
肥後熊本二代藩主 加藤忠広1601-1653 狂気を疑われ、改易