私の城攻め 名古屋城Ⅱ


名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏築城の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が天下普請によって築城した。
以降明治維新まで徳川御三家の一つでもある尾張徳川家の居城。
大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられる。
伊勢音頭は「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われる。

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名古屋城の歴史
16世紀の前半に今川氏親が、尾張進出のために築いた「柳ノ丸」が名古屋城の起源とされる。
1532年 織田信秀今川氏豊から奪取し「那古野城」と改名した。
1555年 那古野城織田信長の居城となったが、信長が清洲城に本拠を移したため、廃城となった。
1600年 関ヶ原の戦い終結まで清洲城主・福島正則尾張を支配⇒戦功により安芸広島藩に加増移封
    徳川家康の四男・松平忠吉が入封
1607年 忠吉に嗣子がなく死去して清洲藩は天領となる
1610年 徳川家康は九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを定め、天下普請で築城が開始された。
1891年 濃尾大地震により、本丸の多聞櫓の一部が倒壊したが、天守と本丸御殿は大きな被害を受けなかった。
1945年 名古屋空襲で、本丸御殿、大天守金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失した。
1959年 天守は再建され、復元された金鯱とともに名古屋市のシンボルとなる
2006年 日本100名城に選定される

名古屋城主の「血系図

    *お詫び:「血系図」の画素が小さくて読みづらいので、申し訳ございません。
         容量の問題でこれ以上の画素はアップロードできないのです
    ゴシック体の印字は血筋です
徳川義直尾張徳川家と支流の美濃高須藩の直系藩主は1801年に松平勝当が死去して絶える。
後に紀伊徳川家、水戸徳川家の養子が継いで明治維新を迎える。
徳川義直の血筋は徳川宗勝の子 竹腰勝起 から
竹腰正富:美濃今尾藩9代 
井上正和:下総高岡藩10代
永井直哉:大和櫛羅藩2代
 と幕末期まで続いていく
尚 美濃高須藩10代松平義建の子は幕末期に徳川幕府を支える「高須4兄弟」と言われる
 徳川慶勝尾張徳川家14代
  徳川慶勝の孫 津軽義孝の娘華子は正仁親王妃
 松平義比:美濃高須藩11代
 松平定敬:伊勢桑名藩4代
 松平容保陸奥会津藩9代
  松平容保の子 松平恒雄の娘勢津子は秩父宮

女系の血筋をたどる(幕末期)
 尾張徳川家初代徳川義直の娘絲子の血筋に

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柳原光愛:柳原家21代
 柳原光愛の娘愛子:明治天皇典侍大正天皇
 柳原前光の娘燁子:歌人白蓮

 尾張徳川家2代徳川光友の娘貴姫の血筋に

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浅野長訓:安芸広島藩12代
浅野長厚:安芸広島新田藩7代
伊東祐相:日向飫肥藩12代
水野忠弘:出羽山形藩2代
内藤正誠:信濃岩村田藩7代
安藤信勇陸奥磐城平藩7代
有馬氏弘:下野吹上藩2代
内藤信民:越後村上藩8代
松前修広:蝦夷福山藩14代
堀之美:越後椎谷藩13代
大久保忠順:下野烏山藩8代
酒井忠発:出羽庄内藩9代
増山正修:伊勢長島藩7代
市橋長和:近江仁正寺藩10代
米津政敏:出羽長瀞藩5代
水野忠順:上総鶴牧藩3代
黒田直和:上総久留里藩8代
酒井忠方:出羽松山藩6代
森川俊方:下総生実藩12代

 尾張徳川家4代徳川吉通の娘三千姫の血筋に

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二条斉敬二条家26代
九条尚忠九条家29代
 九条尚忠の娘夙子:孝明皇后
 九条道孝の娘節子:大正皇后⇒昭和天皇
鷹司煕通:鷹司家25代

 

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